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相双の桜2023 –【南相馬市原町区】大漁桜

相双の桜2023 –【南相馬市原町区】大漁桜...

      (2023.03.22 取材時点)   相双の桜2023。 南相馬市原町区の「大漁桜」です。   南相馬市原町区片倉の道路沿いなどに植えられた「大漁桜」が今年も咲き始めています。           初発神社の近くですね。           淡いピンクの花がとても綺麗です。 この大漁桜は潮風に強い品種で、花の色が「サクラダイ(魚の鯛)」に似ていることから付いたとされています。             約20年前に住民や地元のNPO法人などが約300本ほど植樹したものだそうで、20年経った今でも力強く咲き誇っています。             今年の開花は例年より数日早く、今週末から来週に見頃を迎えそうな感じです。             ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。           (2023.03.22...

【南相馬市小高区】日鷲神社

【南相馬市小高区】日鷲神社...

      南相馬市小高区に鎮座する「日鷲神社」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている神社です。           御祭神は天日鷲命が祀られているとのこと。   天日鷲命は弓矢の神であり、戦の際は大鷲として顕現し軍を先導すると信仰されていました。      元亨3年(1323年)頃、陸奥相馬家当主である相馬重胤が下総国(現在の千葉県北部)から行方郡へ移った際に原町区太田に祀られました。   相馬重胤の遠祖である千葉氏が崇敬する妙見社(現在の南相馬市の相馬太田神社)・上太田の塩竈神社もこの時期に相馬の地へ勧請され、日鷲神社は武神・天日鷲命を祀る神社として崇敬を集めていたそうです。   貞治3年(1364年)に現在の鎮座地である小高区女場へと遷座した。 勧請された当時は「鷲宮(わしのみや)」と呼ばれていましたが、明治政府が皇祖神以外に「宮」の呼称を禁じたことを受け、明治5年(1872年)に現在の社名である「日鷲神社」へ改称しました。     参道にある石段は148段あるそうです。 また、一の石段と三の石段は文政12年(1829年)に当時の宮司が自力で造営したものだとか。   石段の前には手水舎もあります。           また、立派な朱色の屋根の祈祷殿がありました。 梅の花も咲いていて雰囲気がよかったです。           祈祷殿の中には御神座などがあります。 江戸時代に相馬中村藩主の相馬昌胤が、吉田神道を学んで藩内の神社へ広めたそうで、その影響で周辺の神社には祈祷殿があるところが多いのだそう。           続いては社殿です。 屋根は立派な銅板屋根で、1989年(平成元年)に改修されました。 その前は茅葺だった時もあったそうです。           境内社として、子安神社、山津見神社、養蚕神社、道祖神が鎮座していました。         コチラは「神様お休みの石」 当社が創建される1364年、本殿が完成するまでの間、御神体を載せた葛籠(つづら)がこの石の上に安置されていたというのです。 当時の様子はわかりませんが、ここに御神体がお休みになっていたと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。           もうひとつ、「石鳥居の頭部」です。   鳥居の頭の部分だけありますね...この鳥居は天保4(1833)年に参道にあったのですが、伊勢湾台風の折、崩壊してしまい、この頭部のみが残ったというのです。   その後、平成18(2006)年に破損した中央の部分を造営していたものの、令和4(2022)年3月に起きた地震で再度崩壊してしまいました。 それでも強く残るこの鳥居の頭部、生命力をも感じます。           境内には東日本大震災の記録碑が建てられています。           震災の日、日鷲神社のある女湯行政区にも津波が押し寄せてきました。 地震の被害もあり、家屋が5戸損壊、一名の尊い命が失われました。   そのことを後世へもしっかり語り継ぐために。           ----------------------------------------------------------------------------------------   日鷲神社(南相馬市)  住所:〒979-2147...

【浪江町】大平山霊園

【浪江町】大平山霊園...

      浪江町にある「大平山霊園」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている霊園です。           昨年には、絶滅危惧種である「ミズアオイ」という植物が当地の水辺に咲いていました。 相双ビューローにて、その際の記事があります。ぜひコチラもご覧ください。     相双ゆたどさ...

【双葉町】初発神社

【双葉町】初発神社...

      双葉町に鎮座する「初発神社」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている神社です。           寛政3年(1791年)創建。 妙見信仰を行なっていた相馬藩によって建立された神社です。   1321年、相馬氏の祖先とされる相馬孫吾郎平重が、この土地の鎮守として妙見宮を祀ったことが由来。           歴史深い神社として代々地域の人々によって守られてきたわけですが、2011年に起きた東日本大震災によって社殿が損壊、早急な修繕が求められたのですが、3年以上ものあいだ立ち入ることができず、やむなく放置せざるを得ない状況にありました。     そうして2015年になり、ようやく立ち入り許可を得て様子を見たときには震災当時よりも損壊度が増してしまっていたとのことです。 神社の存在意義とは、ただ神様にお会いする場だけではありません。その地域を愛し、コミュニティの形成にも寄与するのです。   ましてや初発神社は、歴代の相馬藩の藩主を祀るお社ですから、このままではいけないと、氏子総代一同で"しめ縄"を製作、2015年12月23日に奉納しました。     そして、修繕資金をクラウドファンドで募ることで、ようやく2020年に社殿の再建にこぎつけることができました。     立ち入り制限が解除され、修繕された初発神社にはかつてほどではないにしろ、例祭のときだけでなく、日常的に参拝へ訪れる方々が少しずつ増えています。             願わくば、また昔のような、それでいて現代においても賑わいを見せるコミュニティの姿へ。 地域を見守る妙見様と共に。           ----------------------------------------------------------------------------------------   初発神社  住所:〒979-1471...

【浪江町】大聖寺

【浪江町】大聖寺...

      浪江町にある「大聖寺」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている寺院です。           中世のころ、楢葉氏が開基したとされる寺院です。   楢葉氏は陸奥国楢葉郡(現・福島県双葉郡北部)を所領とする豪族でした。楢葉氏が滅亡後は相馬氏の祈願所となりました。 1870年(明治3年)に現在地に移転した大聖寺ですが、もともとここには相馬中村藩第5代藩主相馬昌胤の隠居所「北原御殿」があったといわれています。     石段を上がっていくと見えてくる大きな寺の山門は、名残として北原御殿の門を流用しています。             境内にそびえ立つ「大聖寺のアカガシ」は天然記念物にも指定されています。           北原御殿の御廟所もあります。           大聖寺には国の指定重要文化財もあるんです。趣のあるこの建物は、「旧渡部家住宅」といい、相馬藩の在郷給人のものを同規模で再現したものです。           大聖寺には貴重なスポットが多いですね。コチラは「なでぼとけ」様の像です。 お釈迦様のお弟子、十六羅漢第一の尊者で幼いころより仏教に帰依し、多くの人を済度したとされています。   そしてその周辺には綺麗な梅の花も咲いており、風情を感じました。               歴史深いお寺ですが、もう一つ、皆さんがどこかで聞いたことがあるかもしれないものがあります。   それは『親父の小言』です。   いまでは、大聖寺といえば「親父の小言」と連想する方がいらっしゃるほど一般的に知られるようになったものです。   これは、前住職の青田暁仙が家族のために遺した家訓。これをマツバヤ(地元のショッピングセンター「サンプラザ」を運営する会社)の社長で檀家だった松原憲正が着目、当寺の了解を得て「てにをは」などの若干の修正の後、マツバヤバージョンの「親父の小言」が完成し、販売されています。   また、道の駅なみえのお酒が買えるコーナーにもこの親父の小言のラベルが貼ってあるお酒が販売されていることから、それだけ地元でも馴染みのあるものであることがうかがえます。     ----------------------------------------------------------------------------------------   大聖寺  住所:〒979-1512...

【広野町】修行院

【広野町】修行院...

      広野町にある「修行院」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている寺院です。           JR広野駅から約300mのところにある修行院。   東日本大震災の発災時は押し寄せてきた大津波によって本堂などのほか、明治元年7月に修行院近くで繰り広げられた戊辰戦争「広野の戦い」における戦没者の墓石なども多くが損壊してしまいました。     今では制限もないですが、住職も震災直後は自治体の自主避難要請により広野町を離れることとなり、避難先のいわき市から毎日車でお寺に通っては一人で津波被害の後片付けを行い、修行院の復興に努力してきました。   緊急時避難準備区域指定だったころは、各種ボランティア団体の支援を受けることができなかったので仕方なかったとはいえ、地道な修繕や後片付けはとてもしんどかったのではないかと思います。           境内には、東日本大震災の復興祈願と震災物故者供養の碑が立っていました。           また、広野町の指定天然記念物である「修行院のカヤ」が立派にそびえ立っています。           このカヤも幸いにも大津波で流されることを免れました。 遠目でもわかるくらい大きいです。             警戒区域が解除され、檀信徒の方々も再び訪れるようになってきた修行院。 これからも復興に尽力する住民の方々や、海岸方面の土地改良された景色を見守ります。       ----------------------------------------------------------------------------------------   修行院  住所:〒979-0403...

【楢葉町】宝鏡寺

【楢葉町】宝鏡寺...

      楢葉町に鎮座する「宝鏡寺」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている寺院です。     寺院へと続く石段が立派です。雰囲気もあって個人的に好きです。             石段を登りきると本堂が見えてきました。           600年の歴史を紡ぐ宝鏡寺の境内には、趣とどこか落ち着く雰囲気を感じます。   宝鏡寺には楢葉町の指定文化財「木造阿弥陀如来立像」があります。           そして本堂のすぐそばには、福島第一原発事故の惨禍と教訓を在野の目線で伝える資料館「伝言館」があります。     戦後の浜通りで、原発の誘致・建設、変わる地域を見つめてきた故早川住職。   彼が2020年に私費によって建てたもので、半世紀にわたって福島第一原子力発電所問題に向き合ってきた資料の他、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニなどの資料が多数保存展示されています。   また、伝言館前にある庭には「原発悔恨・伝言の碑」や東京都の上野東照宮で核廃絶を願い灯(とも)されている「広島・長崎の火」を継承・移設した「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマの火」などがあります。           東日本大震災で住民の方々が受けた被害は様々です。   このほかにもたくさんありますが、この寺院にある伝言館ではとくに原発問題へと焦点を当てているようです。   震災から12年。   故早川住職が伝言館を通じて私たちに伝えたかったことを私たち一人ひとり、今一度考えていきたいところです。     ----------------------------------------------------------------------------------------   宝鏡寺  住所:〒979-0605...

【富岡町】中國料理 富景

【富岡町】中國料理 富景...

      富岡町の中國料理店「富景(ふうけい)」にやってまいりました。   2023年オープンしたばかりのお店で、はじめてお聞きした方もいらっしゃるかもしれません。   厨房で料理されている方々の会話に中国語も聞こえたので、本場の料理っていうことかな! ワクワクですね。           お店の中に入ってみると、外の明かりが入ってきて明るい店内といった感じです。 夜も営業しているのですが、日中とはまた違った雰囲気になりそうです。            メニュー表はこのような感じでした。(ピンク色の写真は店内にあったメニュー表です。)   結構レパートリーがあり、組み合わせも自由度があって迷いますね~。               今回はコチラをいただきました。     「ラーメンセット(台湾ラーメン+麻婆豆腐飯)」・・・1,078円(税込)         ほんのり辛みを感じるスープと、挽肉・ニラと麺の組み合わせで箸が進みます。   麺の歯ごたえも丁度よかったです。           そしてセットの麻婆豆腐飯。           こちらも程よい辛さが豆腐に絡み、食欲をそそる一品です。 ご飯と一緒になっているので、パクパクと食べてしまいます。     ちなみにホームページの情報によると、汁物以外ならテイクアウトもできるようです。   店内で食事をし、気になる一品料理はテイクアウトして自宅で楽しむ、ということもできるわけですね。   探したら店内にテイクアウト用のお弁当メニュー表もありました。 お土産にも良さそうですし、個人的にありがたいポイントだと思います。             また、後ほどインターネットで調べてみますと、お店のホームページを発見しました。   サイトの「初めての方へ」の項目には... 「町中華からマジ中華まで幅広く対応します。メニューにないお料理も是非ご相談ください」 という一文が。 メニューにないものも作ってくださるのはすごいですね。知りませんでした!   これは、もう少しお店のメニューを楽しんだら、メニューにないものを頼んでみるのも面白そう。また行ってみたいです。     富岡町に立ち寄った際はぜひ。     ------------------------------------------------------------------------------------------   中國料理...

【相馬市】そば処 いその庵

【相馬市】そば処 いその庵...

      相馬市松川浦にある「そば処 いその庵」にやってまいりました。     お昼時になると常連客で賑わうお蕎麦屋さんです。           いその庵さんで提供しているお蕎麦は、自家製粉の手打ちそば。   香りが引き立つおいしいお蕎麦が楽しめます。     メニューはこんな感じです。   「セイロ」と「かけ」で選ぶことができ、天ぷらも好みに合わせて組み合わせができます。   よくみると、うどんも提供しているようですね。 そばが食べられない方も楽しめるのが良いポイントですね。               磯しらす、カレー南蛮も気になります。   どれも美味しそうで迷いますが、今回はコチラを頼んでみました。     「ミニ丼セット(野菜天丼)」・・・1,150円       お蕎麦とミニ野菜天丼のセットを食べてみたいなぁと思いまして。   蕎麦の香りが引き立っていておいしいです! また、天ぷらはサクッとしていて油もしつこくなく、ご飯とよく合います。           コチラのセットには、お新香や付け合わせも付いてきて、お得感もありました。     レパートリーの多さで何度も来て見たくなるお店「そば処...

【相馬市】稲荷神社[寄木神社]

【相馬市】稲荷神社[寄木神社]...

      相馬市磯部地区に鎮座する「稲荷神社[寄木神社]」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている神社です。             寄木神社には「寄木明神」が祀られています。 暦応2年(1339...

【相馬市】赤城山 長命寺

【相馬市】赤城山 長命寺...

      相馬市原釜にある「赤城山 長命寺」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている寺院です。         相馬領真言三ヶ寺の一つ真言宗豊山派の寺院で、鎌倉時代(1323年)に行方郡太田(南相馬市)に移転したあと、 慶長4年(1599年)に中村火の沢(現相馬市水沢)へ移転→元禄8年(1695年)には八幡宮(現涼ヶ丘八幡神社)の正別当となり放生山長命院八幡寺と号するようになります。   そして明治維新の際、領地を明治政府へ奉還し、明治5年(1875年)に現在の岩子へと移転、現在に至ります。             さて、境内を見ていきたいと思います。     昭和の時代にあった大東亜戦争の慰霊碑が建てられていました。 この地区にも影響があったことがうかがえます。           二階建ての山門は、相馬中村城東門の鐘撞門を移したといわれています。           この山門と本堂左側にある大ツツジは、相馬市の指定記念物にもなっています。           瀧場大明神社が祀られるお堂もありました。   九曜紋の意匠も要所に見られ、相馬氏との関わりが垣間見えます。           岩子地区は、海に向かって伸びた小高い丘の集まりと、点在する低地が特徴です。     東日本大震災当時は、この低地がすべて津波によって沈んでしまい、小高い丘だけが島のように取り残されます。 残ったのは民宿がわずか2軒、水産加工場や民家の多くが移転、そして残念ながら1名の尊い命が失われてしまいました。   住民の方々は避難所として設定されていたここ、長命寺や丘の上にある民家に避難しますが、周囲は泥とガレキに覆われてしまってしばらくの間身動きが取れない日々を過ごすことになってしまっていたのです。   長命寺には30人ほどの住民が避難し、電気や水道が止まるなか、1台の石油ストーブを頼りに2晩を過ごしたそうです。     あれから12年ほどが経過し、あれだけ恐ろしい光景を私たちの脳裏に焼き付けた海は何事もなかったかのように穏やかな様子です。 長命寺では震災時に解体中だった本堂が完成し、石油ストーブを買い足すなど備蓄も増やしています。   またいつか来るといわれる災害に備えるために。       ----------------------------------------------------------------------------------------   赤城山...

【相馬市】津神社

【相馬市】津神社...

      相馬市原釜に鎮座する「津神社」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている神社です。           地元では「津の水はん」と呼ばれて親しまれており、春には例大祭「春祭り」で町内を神輿が練り歩き、伝統の神楽や剣舞などが奉納され、人々は「港の守護神」に、漁の安全や豊漁、家族の幸せを祈願しています。   海岸から見上げるような形で小高い丘の上にあり、下からは境内の大木が見えるだけとなっている津神社。   急な坂道を上がって角を曲がるとやっと社があることがわかります。           実は、津神社には日本の平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」に記述された貞観津波、また慶長津波の際も津波が神社のすぐ近くまで迫りながら被害を免れた伝承がありました。   その伝承をご存知だったのか、普段から「津波が来たら津の水はんまで逃げろ」と地元の年配の方から聞かされていた住民も多く、結果として今回の東日本大震災でも津神社へ避難されたたくさんの方が無事だったといいます。     実際に市が設定している津波の避難場所にもなっています。           東日本大震災の時に押し寄せた津波は、ガレキとともに神社の高台の真下まで押寄せ、海水は急坂を遡って石段まで達していました。 住民の約100名が命からがら境内へ避難し助かった一方で、残念ながら下の浜では逃げ遅れた200余名の尊い命が失われました。 神社の鳥居のそばには、東日本大震災の慰霊碑が建っています。            幾度となくその地域に住む方たちの命を救ってきた津神社。 そこには様々な思いがあると思われます。             「津波が来たら津の水はんまで逃げろ」 この言葉の重みがひしひしと伝わってきます。   津波の様子を見に行くのではなく、とにかく高いところへ逃げるんだということを。     鎮魂の祈りとともに。 願わくばもうこのような津波が来ないことを切に願います。     ----------------------------------------------------------------------------------------   津神社  住所:〒976-0021...

【相馬市】松川浦環境公園

【相馬市】松川浦環境公園...

      相馬市にある「松川浦環境公園」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにも入っている地にある公園施設です。             旧衛生センター跡地を利用して設置された松川浦の豊かな自然が残る公園。 汽水湖であり、東日本最大級の干潟もあって渡り鳥の中継地にもなるとても重要な場所です。 自然に親しんでもらい、自然を大切にする心を環境教育を通して養っていただくことを目指し設置されました。     平成22年4月に開園した翌年に発生した東日本大震災の津波によって、甚大な被害を受けてしまいます。 多くの方々の支援を受けて復旧作業を行い、震災の翌年には再オープンを果たすことができました。           庭園の奥には 「ふるさと相馬」歌碑があり、さとう宗幸さん歌声を聞くことができます。           チェーンソーアートと呼ばれるアートも展示されています。   そのほか、相馬市~八戸市28市町村、1000kmを超える【みちのく潮風トレイル】の発着地点となり、モニュメントも設置されています。           そんな公園がある松川浦は、元禄時代の相馬藩主が「松川浦十二景」を選んだ風光明媚な地で 「日本百景」「日本の港・百選」などにも選ばれ、大洲海岸は正に白砂青松の景勝地とされていました。   漁業や海苔の養殖など、相馬市における時代ごとの基幹産業を担っており、松川浦に面する松川・岩子地区には旅館や民宿なども多い印象です。           そこへ約12年前、東日本大震災によって発生した大津波が直撃。 普段は穏やかな海が脅威となりました。     しかし海に面している土地のため甚大な被害になると覚悟していたのですが、鵜ノ尾岬のところで砂州の一部は決壊し、外洋とつながってしまったものの、松川浦と太平洋とを仕切る砂州が大津波のエネルギーを抑える砦になったおかげで、松川浦周囲の家々が流出することを防ぐことができました。   結果的に浦内の住宅は浸水こそしましたが流失はせず、居住禁止区域にならなかったのは本当に奇跡と言えるでしょう。     震災直後は松川浦に生息していた希少動植物の絶滅が心配されましたが、それも少しずつ回復してきているといいます。   植樹祭というイベントの際には、100年後の防潮林のために多くの人が松の苗木を植えてくださっています。           松川浦全体としての復興、そして再オープンを果たし日々尽力している松川浦環境公園をこれからも応援していきたいところです。       ----------------------------------------------------------------------------------------   松川浦環境公園  住所:〒976-0022...

【南相馬市鹿島区】御刀神社

【南相馬市鹿島区】御刀神社...

      南相馬市鹿島区に鎮座する「御刀(みと)神社」にやってまいりました。   東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにも入っている地です。           行方郡延喜式式内社八座のうちの一座で、1000年にわたって津波物語を語り継いできた記念碑的存在とされていました。   日本の第12代天皇である「景行(けいこうてんのう)天皇」の時代に、日本武尊が東征の折に勧請されたといわれています。       御刀神社の祭神は千葉県に鎮座する香取神宮の祭神である武神の経津主神。   国家鎮護の神を祀っているということから、地域の安寧を守る意味でも信仰されており、 寛喜元年(1229年)には行方連により社殿の造替や神田の寄進があり、正徳2年(1712年)には相馬藩主である相馬尊胤公から五石三升の奉納を受けるなど、藩主や地域の民衆からも尊崇を集める神社となりました。   しかしそんな御刀神社も東日本大震災の大津波によって被災してしまいます。   社殿などを囲んでいた「鎮守の森」は辛うじて残ったものの、鳥居や境内社などほとんどが流出し、近隣の氏子の住宅も流されるなど甚大な損害を受けました。           いくつかの碑などは回収できて境内へと戻ってこられているようです。 狛犬さんの像が破損していたりしていました。           震災後、各県の神社庁からの境内の復興事業が行われ、北海道神社庁と東京都の下谷神社の後援によって仮社殿が境内に建立されましたが、やはり震災の被害が目で見てわかるほどです。             また、神社を維持してきた北右田集落60戸がほとんど津波の被害を受けたことで、集落解散の危機的状況にあります。     その一方で、津波を耐え凌いだ鎮守の森や境内に咲く榊や椿の花などを目の当たりにして生命の息吹を感じます。           地盤の関係で新たに周辺に家屋が建てられるかは定かではありませんが、どうにか集落解散を免れ、 そしてこれまで信仰を集めてきた長い歴史と共に御刀神社の存続を願うばかりです。              ----------------------------------------------------------------------------------------   御刀神社  住所:〒979-2312...

【南相馬市鹿島区】山田神社

【南相馬市鹿島区】山田神社...

      南相馬市鹿島区に鎮座する「山田神社」にやってまいりました。   前回紹介した「東北お遍路プロジェクト」のスポットにも入っている地です。             明治の終わり頃から昭和の初めにかけて干拓事業が行われ、その鎮守として祀るために建立されたのが山田神社です。    東日本大震災発災時には、46人もの氏子の方々が命を落としました。             とても悲しい状況のなか、熊本県立球磨工業高校から仮社殿を寄贈いただいたり、多くの善意が寄せられたといいます。             そういった背景があり震災・復興のシンボルとして語り継ぐことが大切な神社だとされています。   また、近くには「鳥いっぱい鳥居」という不思議な鳥居がありました。           実はこの山田神社、先述した干拓事業の工事中に11人もの人が命を落としており、その慰霊舎もあったのです。 しかし、今回の震災で襲い掛かってきた津波によって流されてしまい、慰霊舎不在となっていたのです。   そこで、こちらの地と天をつなぐとされる鳥居を新たに設置し、慰霊のシンボルとしたとのこと。   よくみてみると、鳥居の足の部分にたくさんの絵が描かれています。  この鳥の絵は、命を落とした方々の御霊をお慰めするために、神奈川県に住む絵師の"はと"さんによって描かれました。   「ぽっぽさん」と呼んでいるこの鳥たちに御霊が宿り、安らかに天へと昇っていかれることを願っています。     そんな鳥居は2柱あり、最奥からはすぐ近くにある海の姿を臨めます。   鎮魂の思いとともに、この鳥居が海の動向と、その反対側である陸地の安全を見守っているように感じました。           ----------------------------------------------------------------------------------------   山田神社  住所:〒979-2311...

【相馬市】ボリューム満足「天狗食堂」

【相馬市】ボリューム満足「天狗食堂」...

      相馬市の6号線沿いにある「天狗食堂」にやってまいりました。   以前は(場所はもう少し離れますが)同じく6号線沿いにある相馬総合地方卸売市場にて出店もしていた食堂。 その後は店舗へと移転していましたが、 ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。   その天狗食堂さんのおいしい料理がまた楽しめるようになりました。           さっそくお店の中に入ってみたいと思います。   店内は明るい白を基調としたリラックスできるようなスペース、 黒い椅子に明るいカウンターの組み合わせで大人な雰囲気を演出できそうな素敵なスペースがあります。           おぉ。 『天狗』のお面が店内に飾られていました。   牛若丸のお話を思い出してしまいました。   かっこいいな。           メニューはこのような感じでした。   色んな種類があってどれも魅力的です。           お店の目玉はメディアにも取り上げられることが多い「穴子天丼」。     これでもかとドンブリの上に乗せられた穴子が視線をくぎ付けにします。 なんてったって、総重量1kgですよ...?ホントすごいです!           赤字覚悟のボリューム!なので...一日限定5食だそうです!   遅めに来てしまったので...この日はもう完売でした!(笑)   皆さんも運がよければ食べられるかもしれません。ぜひ店主に聞いてみてくださいね。 私もまた機会があれば再チャレンジしてみたいと思います。   ※込み合っている場合、ご提供が遅れる場合があります。     ということで、他のメニューとにらめっこ。 迷いましたが、今回はコチラにしてみました。     『天狗の海鮮定食』・・・950円         たくさんの魚介類が目一杯乗せられています!             また、定食は唐揚げと小鉢がついてくるのですが、この小鉢がなんと3種類もあります。ありがたいですね。     今回食べた海鮮定食の他にも、『煮魚・刺身定食』や『天狗カレー』というものもあって、どれもおいしそうでした。 とくに私はカレーが好きなので、『天狗カレー』...非常に気になります。           次回挑戦...でも穴子天丼も...悩ましいですね!複数回行くしかないですね!   ボリューム満点でおなかいっぱいになれるお店「天狗食堂」。   ぜひご賞味あれ。       ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------   天狗食堂  住所:〒976-0016...

【新地町】大戸浜観音堂

【新地町】大戸浜観音堂...

      新地町の「大戸浜(おおとはま)観音堂」にやってまいりました。   前回紹介した「東北お遍路プロジェクト」のスポットにも入っている地です。           東北お遍路プロジェクトの巡礼スポットで紹介されているところは、東日本大震災に関連した場所となっているわけですが、 この観音堂は高台にあり、震災当時は100人近い人がここまで逃れました。   津波が到達したものの、観音堂のほうまで逃げることで助かったそうです。           そんな大戸浜観音堂が建てられたのは今からずいぶん前のこと。   新地町として合併される以前、ここには9つもの村がありました。  この観音堂はその村の1つ大戸浜村でのお話が由来です。     伊豆国から"青砥(あおと)吉広"という人物が、安住の地を求めて家族とともにこの浜へたどり着きます。 そして息子の"彦兵衛"と力を合わせて土地を切り開いていきました。   やがて漁師村として栄え、いつしか「青砥の浜(あおとのはま)」と呼ばれるようになったのが「大戸浜(おおとはま)」へと変化、大戸浜村となりました。     その大戸浜の漁師である"隼人"という人物が漁に出た際、朽木が網にかかったので海に投げ入れました。 すると翌日も同じように網にかかったため、それを持ち帰って斧で割ろうとしたところ、切り口から光とともに観音様が現れたそうです。   現れた観音様は「海中山観音寺」と名づけられ、堂を建てて祀ったといいます。 戦後、お寺は姿を消してしまいましたが、今も大戸浜観音堂がその寺域に残っています。           お堂のそばにはお地蔵様たちがひっそりと見守るようにおり、堂の意匠には九曜紋も確認できました。             100人もの人々の命を津波から救った観音様に感謝を込めて。 静かでどこか落ち着く場所です。   新地町を訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。           ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------   大戸浜観音堂  住所:〒979-2704...

【新地町】安波津野神社

【新地町】安波津野神社...

      新地町の釣師浜漁港に鎮座する「安波津野(あんばつの)神社」にやってまいりました。   前回紹介した「東北お遍路プロジェクト」のスポットにも入っている地です。   もともとは安波神社と津野神社に別れていたものが、明治初期の小社寺の統廃合により合祀されたことで、現在の安波津野神社となりました。 5年に1度の11月3日、豊漁や海上安全・地域安全を祈る例大祭が有名です。           東日本大震災以降、神社やこの例大祭で奉納する神輿が津波で流出したことにより、長らく実施できずにいました。 直近の開催が平成18年。それから5年後の平成23年にまた行う予定でいましたが、不運にもちょうどこの年に震災が起きてしまったのです。     復興が進むなか、震災発生から5年後の平成28年、同祭の再開を目指していたところに「あぶくま信用金庫」及び同金庫推薦による「『しんきんの絆』復興応援プロジェクト」というプロジェクトの助成で新たな御神輿が寄贈され、無事に例大祭の復活を果たすことができたとのこと。           また、波をかぶってしまった神社自体も新しく建て替えられました。 その際、防波堤のかさ上げなどで、若干社殿の位置が変わっています。               復活した安波津野神社と、神社が見守る海。   双方を眺めながら思いを馳せるのも、良いかもしれません。           ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------   安波津野神社  住所:〒979-2702...

【新地町】磯山聖ヨハネ教会 祈りの庭(旧会堂跡地)

【新地町】磯山聖ヨハネ教会 祈りの庭(旧会堂跡地)...

      新地町の「磯山聖ヨハネ教会(旧街道跡地)」にやってまいりました。     以前紹介した東北お遍路プロジェクトの巡礼場所としてもリストに入っている地です。     磯山聖ヨハネ教会は大正時代に建設された教会とのこと。     東日本大震災が発生した際には、小高い山の上にあったこの教会を目指して避難した地域住民も多数いたそうです。   地震によって建物周辺は凄まじい状態となりましたが、避難した方々が一夜をこの教会で過ごし命をつないだといいいます。     その後、老朽化が進んだ教会は取り壊され、「祈りの庭」として整備されることとなります。 敷地内に並べられた礎石は、元の教会の形を残すように配置されており、礼拝堂跡にふさわしく鎮魂の鐘や鎮魂のレンガ、記念の石碑が建てられています。           ちょうど教会があった場所に向かうあたりから、津波緊急避難場所であるという案内板がありました。 今でも避難場所としての機能を持っているのですね。少し感慨深いものを感じます。           元あった教会の姿は写真として敷地内に掲示されています。 また、祈りの庭敷地内の「祈りの鐘」は、震災の後に国内外からの応援や支援があって設置されましたものです。               ここもまた、震災における大事な場所だと思います。   教会跡を見ながら静かな空間で震災当時のことを思い起こすのも良いかもしれません。           -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------   旧磯山聖ヨハネ教会・祈りの庭(旧会堂跡地)  住所:〒979-2701...

【新地町】曹洞宗 龍昌寺

【新地町】曹洞宗 龍昌寺...

      新地町にある曹洞宗の寺院「龍昌寺(りゅうしょうじ)」にやってきました。   新地城跡のふもとにある寺院で、慶安2年(1649)創建とされています。 本尊は聖観世音菩薩。   境内には、開基となる伊達政宗の孫・右近のお墓があります。             この寺院は、一般社団法人...

「工房もくもく」【相馬のみんよう】手ぬぐい本

”相馬”みやげに「工房もくもく」【相馬のみんよう】手ぬぐい本...

”相馬”地方に伝わる民謡9曲が、手ぬぐい本になりました。     「工房もくもく」の、【相馬のみんよう】手ぬぐい本 9曲の民謡が本のように折りたためられ、ページを繰って読めるようになっています。 収められている”相馬”民謡9曲は  ・相馬流れ山  ・相馬二遍返し  ・相馬盆唄  ・新相馬節  ・羽黒節  ・かんちょろりん節  ・相馬節  ・原釜大漁祝い唄  ・相馬麦搗き唄 収められている9曲の解説と、二次元コード、”相馬”地方の説明が書かれた紙片が付いていて 二次元コードを読み込むと上記9曲を視聴できます。 色は、紫と紺の二種類 一枚1,000円 「工房もくもく」ショッピングサイトの他 相馬市の千客万来館、浜の駅松川浦 セデッテかしまなどで購入することができます。 URL:https://mokumoku.buyshop.jp/       ...

陣ヶ崎公園墓地戦没者慰霊碑

陸軍原町飛行場跡...

南相馬市原町区には、かつて飛行場(原町飛行場)がありました。 (この他、浜通りには大熊町長者ヶ原に「磐城飛行場」がありました) 昭和11(1936)年に開設された、雲雀ヶ原飛行場。 昭和15年6月 陸軍熊谷飛行学校原町分教場 昭和19年  鉾田教導飛行師団原町飛行隊 と名称を変え昭和20(1945)年、太平洋戦争の終戦を迎えました。     藩領の繁栄と藩民の安寧を祈り神社へ奉納した相馬野馬追の 文字通り、野生馬(野馬)を放牧し、それを追う”野馬”が逃げ出さないよう 江戸時代に、土手をめぐらし、木戸を設けた「野馬土手」(野馬追原)の ほぼ西端部に原町飛行場がありました。 (江戸時代の野馬土手で囲まれた地図が南相馬市博物館webに掲載されています) [南相馬市博物館]その31...

【相馬市】第11回 福節祭

【相馬市】3年ぶりの開催。第11回 福節祭...

      2023年2月5日(日)、福島県相馬市の相馬神社にて第11回福節祭が執り行われました。           新型コロナウイルスの流行により、しばらく開催が見送られてきた福節祭。   前回から3年ぶりの実施ということで、たくさんの参拝者が境内へと集まりました。           神社本殿内で宮司さんが無病息災・早期復興を祈願する祝詞奏上などの神事が行われ、そのあと宮司さんや氏子総代のお話などがありました。   3年ぶりの実施ということで宮司さんも非常に感慨深い気持ちであると話しており、この3年の間に相馬神社を崇敬する地元漁師さんから本殿と鳥居にある真新しい"しめ縄"を奉納していただいた話などもお聞きしました。 普段、神社で宮司さんとお話する機会がない私にとって貴重なお話をきくことができてよかったです。           ここからは福節祭の行事として神楽舞と豆まきが行われます。   ※例年ですと、この境内で有志らが上半身裸になって冷水をかぶる「寒中みそぎ」も行われていましたが、新型コロナウイルスの影響もあるため今回は実施しませんでした。      神楽殿にて神楽の奉納がはじまりました。 奉納するのは、地元で神楽の継承をしている「原釜敬神部」の皆さん。           お囃子と躍動感あふれる獅子の舞に、参拝者の方々もジッと見入っていました。   厳かで且つ迫力のある神楽が奉納され、境内が大きな拍手で包まれました。 神楽はいつ見ても迫力があるなと感じます。           無事に神楽が奉納された直後、参拝者の皆さんがそろそろだな、動き始めました。 これから始まるのが豆まきです...!           祈願された豆「福豆」と五円玉の入った小袋を、氏子の皆さんが神楽殿から境内にスタンバイしている参拝者たちに向けて豆まきします。 そしてこの福豆をたくさんいただくことで今年の福を賜れるとされ、参拝者の方々はがんばって豆を拾いに行くわけです。   大きな掛け声にあわせ、まかれる福豆たち。   掛け声の決まりは「福は内、鬼は外」の順。初めが「福は内」からであるということです。   自分も参加したので写真がないのですが...5ついただきました!   ほとんどが地面に落ちたものではなくそのままキャッチしたものでして... まさか野球部で得た感覚が役に立つとは思いませんでしたね...(笑)     そうしているうちに豆まきも終了し、これを以て福節祭が完了しました。         約3年ぶりの実施となった福節祭、これからも地域に根差した伝統として来年も無事に実施できることを祈っています。   今年一年の無病息災を祈願するお祭り、来年はぜひ皆さんも参加なされてみてはいかがでしょうか。           ------------------------------------------------------------------------------------------   相馬神社  住所:〒976-0042...

【大熊町】大山祇神社

【大熊町】大山祇神社...

(2023.02.01 取材時点)       大熊町に鎮座する「大山祇神社」にやってまいりました。   明暦元年(1655年)に建立されたといわれる神社で、大山祇神(おおやまつみのかみ)が祀られています。           立派な鳥居をそのまま進んでいくと狛犬さんがお出迎え。           通りますね、心うちで語りその先にある本殿へと向かいます。             木々に囲まれひっそりと立つ姿はどこか神秘的。           立派な姿ですが、なんだか綺麗な状態だったため最近修復作業などがあったのかと思ってしまいました。   氏子の方々がしっかり管理なさっているのだろうかと思います。参拝者側としてもたいへんありがたいことですね。             境内の大杉が御神木とされており、その樹齢は推定400年以上。パワーがもらえそうです。   大熊町を訪れた際は、ぜひ参拝に訪れてみてはいかがでしょうか。     ------------------------------------------------------------------------------------------   大山祇神社(大熊町)  住所:〒979-1306...

【富岡町】諏訪神社

【富岡町】諏訪神社...

      (2023.01.31 取材時点)     富岡町に鎮座する「諏訪神社」にやってまいりました。   平安時代後期が起源とされる神社で、建御名方神(たけみなかたのかみ)、御穂津津美神(みほつつみのかみ)を祀っています。             鳥居をくぐると、その先で狛犬さんがお出迎え。           江戸時代に造営された本殿は、再建を重ねて現在に至ります。 立派なつくりです。             そのほか周辺も木々に囲まれてよい雰囲気です。   境内には杉の巨木もあり、その迫力たるや圧巻でした。               ちなみに、コチラの神社では富岡町のマスコットキャラクター・とみっぴーが印刷された御朱印もいただけるそうです。   ご興味のある方はぜひ当神社の社務所へお声がけください。     自然に囲まれた歴史深い富岡町の『諏訪神社』。   ぜひご参拝にお越しください。           -----------------------------------------------------------------------------------------   諏訪神社(富岡町)  住所:〒979-1151...

【広野町】食と味の店「かなめ」

【広野町】食と味の店「かなめ」...

      広野町の役場前にやってきました。   役場の前に建つイオン広野店には、通常の日用品のほか、「ひろのてらす」という地元の企業などが入ったスペースが併設されています。   日中は地元の方々が休憩していたり、平日などは夕方になるとすぐ近くにある福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の生徒さんたちが集まってきて勉強する場所になったりしています。   今回はこの施設の玄関口のすぐ横にある食堂「食と味の店『かなめ』」に入っていきます。           店内にはテーブル席とカウンター席、畳席までありました。 ...

【富岡町】そば処 満留賀

【富岡町】出汁がおいしい人気の蕎麦屋『そば処 満留賀』...

      国道6号線沿い。  富岡町にある蕎麦屋さん『そば処 満留賀』にやってきました。   東日本大震災前からあるお店で、店主のこだわりの出汁が美味しいと評判の蕎麦屋さんでした。 震災後はしばらくお休みとなっていましたが、2018年から同じ地に再オープン。   おいしい出汁も健在とのことで、お昼時は駐車場が満席になることもあるそう。   建物は以前あったお店と似た落ち着いた感じがしますね。 それでは、さっそくお店に入ってみます。           白い壁の店内は明るい印象です。 メニューはこのような感じ。   結構種類もあって定食や丼物もありました。           どれも美味しそうですが...   今回はコチラを注文。     ミニ天丼セット(¥1,100円)         "ミニ"と書いてありましたが、ちょうど良いボリュームでした。   天丼には様々な天ぷらが載っており、ご飯との相性も良くどんどん食べられます。   蕎麦はほどよく切れ、噛み応えも良い感じ。 評判の良い出汁はそれだけでも美味しいし、天かすとの組み合わせでさらにその魅力を引き立たせているように感じます。   お好みで七味をアクセントにするのもオススメです。   なにげにサラダとお新香が付いているのもありがたい。           地元で愛される蕎麦屋さん『そば処...

原町無線塔...

現在の南相馬市原町区には、かつて東洋一の高さ、約201メートルの 鉄筋コンクリート製 ”原町無線塔”(磐城無線電信局 原町送信所の主塔)が建っていました。 関東大震災発災の第一報を欧米へ向けて打電した”原町無線塔” 相双ゆたどさ:富岡と原町、磐城無線電信局(2022.9.1:掲載) (昭和40年代の「原町無線塔」) 1920(大正...

[2023カレンダー 相馬野馬追]表紙

2023CALENDER相馬野馬追...

一般社団法人 南相馬観光協会から 令和4(2022)年相馬野馬追フォトコンテスト入賞作品がならぶ 2023 CALENDER 相馬野馬追 が 販売されています。(1部:1,600円(税込)) [一般社団法人 南相馬観光協会]URL:http://minamisomakanko.org/  2023年度版相馬野馬追カレンダー発売中!         2023...

ふくしま&ラッキー コードF Flowers 幸せをもたらすラッキーといやしの花

ふくしま&ラッキー コードF Flowers 幸せをもたらすラッキーといやしの花...

     ふくしま&ラッキー    コードF Flowers    幸せをもたらすラッキーといやしの花    が、福島県内22エリアで  2022年10月20日(木)~  2023年2月26日(日)まで  開催されています。   [ふくしま&ラッキー コードF...

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