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2022/05/24
2022/04/12
2020/07/30
2019/11/01
2022/05/25
※2021年11月5日現在の取材記事となります。
川内村にある「上川内諏訪神社」と「曹洞宗 長福寺(洞秀山 泰亨院)」にやってまいりました。
同じ敷地に神社と寺院が存在しています。
川内村には諏訪神社が三社もあります。
「上川内諏訪神社」「下川内諏訪神社」「高田島諏訪神社」の三社です。
以前、「下川内諏訪神社」については相双ゆたどさで紹介したことがあります。気になる方はぜひご覧ください。
→相双ゆたどさ『【川内村】下川内諏訪神社』
URL:https://yumesoso.jp/yutadosa/archives/20467.html
さて、上川内諏訪神社からまいりましょう。
上川内諏訪神社は1430年に創建された神社だそうです。
荘厳な鳥居潜ると、狛犬が待っています。
階段を上がっていくと、拝殿が目の前に。
比較的新しい見た目に見えるのですが、もしかしたら改修工事をしたことがあるのかもしれません。
屋根には「三つ巴」の紋様、拝殿の天井あたりには龍の装飾がありました。
諏訪神社と龍の関係は深いことを下川内諏訪神社の記事でも書いた記憶がありますが、ここでもそれが見られたのでうれしかったです。
御神輿を保管する倉庫です。
チラッと覗いてみると、中に綺麗な御神輿が。
なんだかご利益ありそうです。
さて、次は長福寺にまいります。
長福寺は1596年に創建されたそうです。1430年に創建された上川内諏訪神社の方が創建された年数が早かったようですね。
門には水戸黄門などでよく見る「葵紋」などが描かれていたり、その周辺には、歌碑や石碑がありました。
葵紋があったのはなぜかわかりませんでした。徳川家と縁があったということなのでしょうか。
門の端に立てかけられていた謎の自転車。なにか古い歴史を感じます。
なぜここにあるのか、こちらもわかりませんでした。
門をくぐり道なりに進むと、突き当りに長福寺の名が彫られた石碑があります。
そのすぐ横の階段で本堂へ向かいます。
観音像お寺と言えば、鐘。立派な鐘がありました。
その手前にもう一つ少し小さな鐘があったのですが、説明を読んでみると結構珍しい鐘のようです。
鐘には鋳物師の名前が刻まれているようで、これは全国的にも稀有なのだそう。
ここまで二つの建物をみてまわりましたが、この地に神社とお寺が一緒にあり続けているのには歴史がありました。
中世以降になって、神仏混合の時代が到来し、上川内諏訪神社は長福寺のすぐ隣で長福寺の支配で存在するようになります。
しかし、明治時代になると、新政府から廃仏毀釈令が発令されたことで寺院は権力を失い、全国的な寺院に対する破壊行為や藩による寺領の没収などが行われる出来事がありました。そして、この出来事をキッカケにあわせて神仏分離となってしまいます。
その影響は川内村の長福寺も例外ではなく、取り壊しの話が出てきました。
「諏訪神社と一緒に残してほしい」そんな思いをもった村民たちが明治政府へ嘆願運動を行います。
そして当時の人々の努力が実り、見事取り壊しを回避。今に至ります。
実は下川内諏訪神社にある「地蔵院」もこのとき一緒に取り壊されることになっていたのですが、嘆願活動のおかげで長福寺も地蔵院も無事でした。
そんな歴史がある上川内諏訪神社と長福寺。
当時に思いを馳せながら参拝するのも良いかもしれませんね。
静かで安らげる場所です。
皆さんもぜひお越しください。
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上川内諏訪神社、曹洞宗 長福寺
住所:〒979-1201 福島県双葉郡川内村上川内三合田29(地図)
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※2021年11月5日現在の取材記事となります。