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2023/02/02
楢葉町、天神岬スポーツ公園にやってまいりました。
今回は、同公園の敷地内にある史跡『天神山城跡』の紹介です。
天神山城は戦国時代最末期の城跡とされていますが、なんと歴史的記録や文献資料がなく、城主や正確な築城年代すら不明という珍しい城です。
詳しい文献がないものの、福島県内でも屈指の規模を誇っている城跡であることは事実であり、築かれたと推測される戦国時代の武士による足跡も垣間見えることから、当時競り合っていた岩城氏と相馬氏の二大勢力の狭間に生きたこの地の歴史を解き明かすことができるのではないかとも言われています。
ほかに例を見ない城つくりとなっている点が注目され、その構造の特異さから岩城氏が戦国末期に相馬氏に対する防衛拠点として築城をはじめたものの、関ヶ原の戦いが終結したことで放棄されたのではないかという説があります。
その一方で、土塁の規模に違和感がある…戦国末期の築城ではなく南への防備が手厚いことから岩城氏ではなく相馬氏が拠点として築いたのではないかとする説もあるようです。
いずれにせよ陣城的な構造になっているあたり、相馬氏と岩城氏の緊張関係がうかがえる臨時的な城だったのかもしれません。
実は昭和55年に史跡の調査も行われていました。
しかし、あまり有力な痕跡を確認するまでには至らなかったようです。
一説では未完成だったのではないかという話も。
いつか新たな発見がされたらいいなと思います。
また、他の記事で取り上げさせていただいた『北田神社(天満宮)』が敷地内にあります。
それが本丸とされる一郭に配されています。
神社などを城内に祀っているというのは、ほかの地においてもよく見られますが、このあたりもなぜ天満宮だったのか、など理由がわかってくると面白そうだなと思いますね。
東北地方屈指の大きさを誇る大鳥居も新たに立ち話題となっていますが、鳥居の根本あたりから下っていける小道があることも今回の取材で知ることができました。
横から登ることができるこの道はいつからあったのか、置いてあった神具の状態から結構前からあったのでしょうか、ここも気になるところです。
北田神社の大鳥居についての記事はコチラ↓
相双ゆたどさ -『【楢葉町】圧巻の大きさ!北田神社(天満宮)の大鳥居』
URL:https://yumesoso.jp/yutadosa/archives/24238.html
ちなみに、天神山城跡のある天神岬スポーツ公園は高台にあり、新たに建設された浜街道を臨むことができます。
東日本大震災で被害があった際の説明も一緒にここで見ることができます。
海が目と鼻の先ですからね、この資料は当時の被害を物語る大切な資料の一つです。
さて、ここが二郭、お堀などがある場所です。
当時からすでに400年以上経っておりそれなりにお堀が削られていますが、まだここにお堀があった、ということがわかります。
今だと少し頑張れば登れる小高いお堀の部分は、当時もっと深かったと想定した場合、数十キロもの甲冑を身に付けた状態では登ることは容易ではなかったでしょう。
詳しい文献がなく謎に包まれた天神山城跡。
夢が膨らむというものですね。
楢葉町を訪れた際には、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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天神山城跡
住所:〒979-0604 福島県双葉郡楢葉町北田天神原(地図)
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