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2023/03/22
相馬市原釜にある「赤城山 長命寺」にやってまいりました。
東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている寺院です。
相馬領真言三ヶ寺の一つ真言宗豊山派の寺院で、鎌倉時代(1323年)に行方郡太田(南相馬市)に移転したあと、
慶長4年(1599年)に中村火の沢(現相馬市水沢)へ移転→元禄8年(1695年)には八幡宮(現涼ヶ丘八幡神社)の正別当となり放生山長命院八幡寺と号するようになります。
そして明治維新の際、領地を明治政府へ奉還し、明治5年(1875年)に現在の岩子へと移転、現在に至ります。
さて、境内を見ていきたいと思います。
昭和の時代にあった大東亜戦争の慰霊碑が建てられていました。
この地区にも影響があったことがうかがえます。
二階建ての山門は、相馬中村城東門の鐘撞門を移したといわれています。
この山門と本堂左側にある大ツツジは、相馬市の指定記念物にもなっています。
瀧場大明神社が祀られるお堂もありました。
九曜紋の意匠も要所に見られ、相馬氏との関わりが垣間見えます。
岩子地区は、海に向かって伸びた小高い丘の集まりと、点在する低地が特徴です。
東日本大震災当時は、この低地がすべて津波によって沈んでしまい、小高い丘だけが島のように取り残されます。
残ったのは民宿がわずか2軒、水産加工場や民家の多くが移転、そして残念ながら1名の尊い命が失われてしまいました。
住民の方々は避難所として設定されていたここ、長命寺や丘の上にある民家に避難しますが、周囲は泥とガレキに覆われてしまってしばらくの間身動きが取れない日々を過ごすことになってしまっていたのです。
長命寺には30人ほどの住民が避難し、電気や水道が止まるなか、1台の石油ストーブを頼りに2晩を過ごしたそうです。
あれから12年ほどが経過し、あれだけ恐ろしい光景を私たちの脳裏に焼き付けた海は何事もなかったかのように穏やかな様子です。
長命寺では震災時に解体中だった本堂が完成し、石油ストーブを買い足すなど備蓄も増やしています。
またいつか来るといわれる災害に備えるために。
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赤城山 長命寺
住所:〒976-0025 福島県相馬市岩子大迫287(地図)
東北お遍路プロジェクト
WEB:https://touhoku-ohenro.jp/
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