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2023/03/22
南相馬市小高区に鎮座する「日鷲神社」にやってまいりました。
東日本大震災の記憶を語り継ぐ「東北お遍路プロジェクト」のスポットにもなっている神社です。
御祭神は天日鷲命が祀られているとのこと。
天日鷲命は弓矢の神であり、戦の際は大鷲として顕現し軍を先導すると信仰されていました。
元亨3年(1323年)頃、陸奥相馬家当主である相馬重胤が下総国(現在の千葉県北部)から行方郡へ移った際に原町区太田に祀られました。
相馬重胤の遠祖である千葉氏が崇敬する妙見社(現在の南相馬市の相馬太田神社)・上太田の塩竈神社もこの時期に相馬の地へ勧請され、日鷲神社は武神・天日鷲命を祀る神社として崇敬を集めていたそうです。
貞治3年(1364年)に現在の鎮座地である小高区女場へと遷座した。
勧請された当時は「鷲宮(わしのみや)」と呼ばれていましたが、明治政府が皇祖神以外に「宮」の呼称を禁じたことを受け、明治5年(1872年)に現在の社名である「日鷲神社」へ改称しました。
参道にある石段は148段あるそうです。
また、一の石段と三の石段は文政12年(1829年)に当時の宮司が自力で造営したものだとか。
石段の前には手水舎もあります。
また、立派な朱色の屋根の祈祷殿がありました。
梅の花も咲いていて雰囲気がよかったです。
祈祷殿の中には御神座などがあります。
江戸時代に相馬中村藩主の相馬昌胤が、吉田神道を学んで藩内の神社へ広めたそうで、その影響で周辺の神社には祈祷殿があるところが多いのだそう。
続いては社殿です。
屋根は立派な銅板屋根で、1989年(平成元年)に改修されました。
その前は茅葺だった時もあったそうです。
境内社として、子安神社、山津見神社、養蚕神社、道祖神が鎮座していました。
コチラは「神様お休みの石」
当社が創建される1364年、本殿が完成するまでの間、御神体を載せた葛籠(つづら)がこの石の上に安置されていたというのです。
当時の様子はわかりませんが、ここに御神体がお休みになっていたと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。
もうひとつ、「石鳥居の頭部」です。
鳥居の頭の部分だけありますね…この鳥居は天保4(1833)年に参道にあったのですが、伊勢湾台風の折、崩壊してしまい、この頭部のみが残ったというのです。
その後、平成18(2006)年に破損した中央の部分を造営していたものの、令和4(2022)年3月に起きた地震で再度崩壊してしまいました。
それでも強く残るこの鳥居の頭部、生命力をも感じます。
境内には東日本大震災の記録碑が建てられています。
震災の日、日鷲神社のある女湯行政区にも津波が押し寄せてきました。
地震の被害もあり、家屋が5戸損壊、一名の尊い命が失われました。
そのことを後世へもしっかり語り継ぐために。
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日鷲神社(南相馬市)
住所:〒979-2147 福島県南相馬市小高区女場明地159(地図)
東北お遍路プロジェクト
WEB:https://touhoku-ohenro.jp/
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