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2019/04/19
2019/12/13
2019/05/10
2019/11/01
2019/10/02
数年前まで「相双」と言う言葉も知らなかった私。
『相双ビューロー』を通して、私は相双地域の豊かな自然、
人の温かみを知りました。
中でも個人的に思い出のある場所「松川浦」
ここは私が始めて取材に行き、温かく迎え入れてくれたところです。
私の大好きな「松川浦」が3月11日、たった数時間で変わってしまいました。
あの大地震と大津波で。
国道6号線から松川浦方面に車で走ると良い潮の香りがしてきます。
民宿やお店の先では、「魚の塩焼き、海苔、ホッキ貝、干物などなど」の
美味しそうな香り、光景がひろがっていました。
しかし、今はすっかりその光景がかわってしましました。
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夏になれば海水浴で賑わっていた場所も。
跡形もなくなってしまっています。
私はドキドキしながら、初めて取材をさせていただいた「カネヨ水産」さんに
先日ゆっ太郎が取材で中村神社に伺った時に、「カネヨ水産」さんの
社長さんにお会いしたそうです。皆さん無事とゆっ太郎から聞き、
涙が止まりませんでした。
今度私もみなさんに笑顔でお会いしたいです。
また美味しい定食をたのしみにしております。
私の大好きな場所のひとつ「松川浦」。
3月11日ですべてが変わってしまいましたが、
以前以上に素敵な松川浦に生まれ変わります。
私もまた伺います。
コメント & トラックバック
ゆうらさん
避難先から松川浦が見えるのですね!
本当に変わってしまいました。
私も好きな場所です。
松川浦は私にとっても思い出の場所なので
一日も早く!っと思います。
tonamikousenさん
震災の数日前に松川浦に・・・。
カネヨの皆さんは無事だそうです。
松ヶ江亭のみなさんの事は、すいませんが
聞いていません。
あの生のり、ほっき貝、かになどなど
美味しいものが沢山ある松川浦!!
これからも応援してください。
半杭正幸さん
はい!これが現実です。
彩り豊かな松川浦が灰色一色に・・・。
でも復興に向けて皆さん前を向いて頑張っています。
小高は原発がなければ・・・。
私も松川浦が大好きでした。
いつもフッと訪れて、ホッとする場所でした。
今、避難してるアパートから、松川浦が見えます。
あまりにも変わりすぎて、遠くから見るだけです。
震災以来、六号線から東には、なかなか足を踏み込めないでいます。
ホントに早く、あの松川浦に戻ってほしいですね。
3.11のほんの数日前に、松ヶ江亭で父の法事をやり、たこ八(この写真のカネヨ水産さん)で買い物し、「入れ歯でも噛めるから買って行け」と試食させてもらい・・・絶句です。
カネヨの皆さんはご無事だったのですね。松ヶ江亭の皆さんは?ご存知でしたら教えて下さい。
ウチの近くに避難して来た方から、松川浦の惨状を聞いていました。店や宿が一部であっても再開したら、観光客を案内して行きますね。生のり、ひらめ、たこ、ホッキetc…今週は、漁に関する購入費限定で義援金、送ります。
これがあの松川浦ですか?信じられませんね。唯、放射能汚染地区では有りませんから、復興再生のチャンスはマダマダ有るでしょう。今度の地震では「浦」等が付く地名は、往古の昔に戻ったのです。小高区も「浦」が付く地名は、殆どやられました。例えば、浦尻等々です。