今回は、双葉郡浪江町にある『震災遺構 浪江町立請戸小学校』にやってまいりました。
比較的海に近いところに位置していた請戸小学校は、東日本大震災の発災時、地震や津波被害にあいました。
幸い、当時学校にいた人たちはすぐに避難したため被害者はいませんでした。
震災後、津波を受けてもなお、形を残していた校舎を活用して、震災の痕跡を後世に遺すことを目指し、取り壊さずに町の震災遺構施設として整備することになりました。
2021年10月より一般公開が開始。
安全対策はされていますが、施設の展示物のほとんどが当時の状況をそのまま残しているような印象で、被災した当時の姿を目で見て肌で感じることができます。
災害の恐ろしさやその備えとしてどのようなことが必要か、震災を知る世代にも、震災を知らないこれからの世代にも考えさせる場所だと思いました。
出入り口を兼ねる白い建物に入り、入館料(300円)を支払ってから奥へと進みます。
この建物の中には、過去から現在に至るまでの浪江町請戸地区について記されたパネルや映像などの資料が展示されています。
また、このスペースには浪江町で受け継がれてきた伝統行事の様子を映像で見ることができます。
映像を見ていた見物客の中からも「懐かしいな。」という声が聞こえました。
震災前は毎年のように行われていた伝統行事。発災から10年近くが経ち、少しずつ行事などが再開されてきたことで、復興を感じることができることもあります。
一方で、行事で使っていた道具が津波で流されるなどして、復活が難しいパターンもあります。いつか復活できる日を待ち望んでいます。
白い建物から外に出ると、すぐ目の前に学校の校舎が現れます。
最上階近くに津波浸水深の印がありました。あんな高い場所まで津波が押し寄せてきていたと思うと、恐ろしいですね。
順路は外から教室の中に入っていくようになっています。
真っ先に目に飛び込んできたのは、錆びや土埃のついた教室の様子。
歩けるように細かい瓦礫は撤去されていると思いますが、当時の情景がほぼそのままの形で残っている感じです。
ランドセルなどを入れていたであろう収納スペースには、当時学校に通っていた子どもたちの名前シールが貼られていたのが、すごく印象深かったです。
(棚にかかれた児童の名前。震災で破損した電灯やイス、カメラなど。割れた大堀相馬焼もあった。)
波をかぶったためか、様々なところが錆びてしまっています。
また、津波だけでなく地震の被害も受けているため、壁が崩れていたり、床が沈んでいたりと、あちこちにその爪痕が残っています。
安全面を考慮し、見学できる場所も学校の限られた区画のみとなっています。
(震災の影響で大きく破損した扉や外壁、学校の機能を担う様々な設備も被害を受けた。)
地震の影響か、体育館の床も抜けてしまっています。
印刷室では、地震で崩れた機材や資料などが散乱したままに。
教室に後ろ側にあった黒板にはおそらく先生から生徒へ向けたメッセージもみつけました。
震災がなければ、今も子どもたちの活気あふれる光景が、この廊下にあったのかもしれないと思うと、寂しさも感じます。
次は給食室です。
損傷が激しい箇所があり校舎内からはいけないため、校舎の外側から眺める形になります。
請戸小学校では、給食の時間になると子どもたちが食堂に集まってきて、みんなで食べていたそうです。
わたしの通っていた小学校では、教室ごとに給食を食べていたので、学校によって違うことを知りました。
見づらいかもしれませんが、津波によって押し流された食器たちが、厨房に山積みになっています。
津波の怖さを想像させる場所でした。
敷地内には案内板がいくつかあり、そのときの出来事を振り返るようなイラストと説明があります。
これは、震災の後にNPO法人「団塊のノーブレス・オブリージュ」が当事者たちの話をもとに出版した本から抜粋して展示されているものです。
一枚一枚、イラストとともにその時の緊迫した状況がすごく伝わってきます。
さらに進むと昇降口が見えてきます。
ここから校舎2階へ向かうことができます。
昇降口へ着いて驚いたのが、下駄箱の一つが根元からなくなっていたことです。
もともとは、足元に見える四角いスペースのところに下駄箱があったのですが、今は基礎の部分しか残っていません。
おそらく津波で流されたのだと思います。
人の力では持ち上げることも困難な大きさの下駄箱を、いとも簡単に押し流してしまうのかと、思わず息をのみました。
終始驚きながら2階へ向かいます。
2階には、震災当時の状況を記すパネルや、被災した方々へのインタビュー映像などが閲覧できるスペースがありました。
驚いたのは、震災直後の請戸小学校周辺の様子をうつした写真。
なんと学校周辺の建物がなくなっている光景でした。こうなっていたとは知らず、しばらく唖然としてしまいました。
このほか個人的に印象深かったのは、4年生の教室(2階の一番奥)に残っていた黒板メッセージ。
書き込みひとつひとつが今もここに刻まれています。
とくに発災後、現場へ支援のためやってきた自衛隊の方々などが書いた『挫けないで頑張ろう』といった励ましのメッセージが、心にグッと来ました。
震災からまもなく11年を迎えます。
請戸小学校のある浪江町には、道の駅なみえなどの新たな住民交流の場ができ、町の賑わいも少しずつ生まれてきているように思います。
学校は、学び舎であると同時に、地域住民と子どもたちの繋がりの場でもあります。
多くの学校が被災し、取り壊される光景は、その地域に住む人や実際に通っていた人にとって非常につらいものです。
そういった見方をしてみると、その役割はかわっても、こうして残った請戸小学校にはそれだけ大きな意味があると思います。
請戸小学校のような震災遺構関連施設がいつか新たな浪江町として生まれ変わった未来でも、復興の象徴として在り続けることを願っています。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
震災遺構 浪江町立請戸小学校
住所:〒979-1522...